地震の記録
それにしても、昨日の地震は凄かった。
地震発生時は社内にいて、ちょうど給湯室のところにいた時に地震がおきて
防火扉が閉まってしまい、一瞬閉じ込められたかと思ってびっくりした。
その後、奥さんにも保育園にも連絡がつき、とりあえず無事だと分かってほっと一安心。
地震発生後は、保育園にムスコを預けてることもあって
早く帰りたかったのに社内待機が命じられ、結局、自己責任の下
帰っていいとなったのが18時30分。
それから、会社から30キロ近くはなれた家まで歩いて帰ったときの記録をメモ。
- 1850ごろ、会社出発
- 青山一丁目付近のR246 青山通りは、今まで見たことのないぐらいの大渋滞。それを横目に見ながら、外苑東通りを北上。
- 1930ごろ、外苑東通りと靖国通りの交差付近
- 靖国通りをみると、こちらもありえないぐらいの大渋滞。このあたりで、海外の方に四谷三丁目駅の場所を聞かれた。日本に来てこんな規模の地震にあうなんて、気の毒すぎる。
- 2030ごろ、池袋付近到着
- 川越街道がありえない位の大渋滞。
- 2200ごろ、環八通過
- あいかわらず、渋滞はひどい。
- 2300ごろ、埼玉県に入る
- このころになると、多少は川越街道の渋滞も緩和していて、少しは車が動いている状態だった。ただ、この辺でちょうど20キロぐらい歩いたことになるけど、足が限界近くに。このとき、別事業所に勤める会社の上司に会った。青山から歩いてきたって言ったらびっくりされた。この辺で携帯のバッテリー死亡。
- 2400ごろ、家まで5キロぐらい付近
- 奇跡的にタクシーが拾えて、そこから保育園にムスコをお迎えに。ムスコはおとなしく寝ていてくれた。遅くまでお世話をしてくれた保育園の先生には感謝しきれない。
- 0100ごろ、家に到着
- 停電していてかなり辛かった。とりあえず、ムスコをベットに寝かせて、家の電話の子機の明かりを頼りに携帯のバッテリーを予備に切り替え。非常持ち出し袋から懐中電灯を取り出して、なんとか明かりを確保して奥さんと携帯メールで連絡を取り合えた。この時ほど、非常持ち出し袋を用意しておいて良かったと思ったことはなかった。
- 0230ごろ、停電復旧
- 電気って素晴らしい!奥さんから電話があり、動き出した地下鉄と私鉄に乗ればなんとか家から車で30分ぐらいの駅までいける目処がついたので、奥さんのお迎え準備。
- 0500すぎ、奥さんお迎え
- 駅まで奥さんのお迎え。家族全員が合流できてほっと一安心の瞬間でした。
関東に住んでいる以上、いつかはこんな目に遭うかもと奥さんとは話してたけど
まさか現実に起こるとは思ってなかった。
今回の経験を通じて分かったことをいくつか。
- 3G回線は使えない
- 携帯の3G回線は、つながったりつながらなかったりと、かなり不安定な状態。その為(?)バッテリーの消耗も激しかった。
- 公衆電話最強
- 万一に備えて奥さんからテレカをもらっていたので、途中から移動中の連絡は公衆電話が中心になった。やっぱり公衆電話は何回かトライしたらつながった。
- 家までの帰宅ルート
- 自分はバイク通勤してるんで、家までのルートは完璧に把握していたんだけど、周りを見ると形態や印刷した地図を片手に帰っている人多数。みんな、最低限家の近くまでの道は知っておくべきじゃない? この日は飲み会の予定だったので、バイクで会社に行ってないのが恨めしかった。
- 車は役に立たん
- 幹線道路の渋滞はホントにひどかった。正直、歩きの方が早かったし。その反面、バイクや自転車が、その機動性を発揮して移動していたのが印象的。こういうときはオフ車とかが一番いいのかも。
そんな感じの一日でした。
25キロ近くも歩いたのは初めてかも。
ホント20キロを越えたあたりから、足やひざが痛くなって歩くのが辛かった。
今回の事件で一番感じたのがtwitterの威力。
連絡がとりづらいなか、twitterのつぶやきで友人の状況も確認でき、自分も会社を出てからはtwitterで
ならべく状況をつぶやくようにした。
奥さんの義母さんはそれをみて状況を把握してたようだし。
twitterはもうちょっと普及してもいいと思った。
明日以降は地震も落ち着くといいな。
とりあえず、ヤシマ作戦に協力しないと。
http://twitter.com/search?q=%23yashimasakusen110312